お正月から「本」に飢えていました。
毎年数十冊読みこなしていた読書も、昨年後半からパタッと止まり文盲状態。
シャマルとの生活を理由にはしたくないのですが、慣れない生活が一因であったのは間違いないですね。
今年は元通り、本を楽しもうとあらためて決心しました。
さっそく元日より読書開始。
とはいううものの、純文学や哲学書では続きそうもないので、まずは大好きな東野圭吾の最新作「Dying Eye」から。

内容はオミットしますが、流石に東野の物語の展開は切れ味がイイです。頭の中でイメージするシーンは時間を忘れさせ、どんどんその世界に巻き込まれてしまいます。今回は「ある人間の目」が大きなテーマとなっていますが、かなりホラーミステリー要素が濃厚で、結末までドキドキした気分を維持できる小説になってます。その「目」とリンクしているのが「マネキンの目」。
確かにマネキンって恐い雰囲気を兼ね備えていますよね。僕が小さい時に母とデパートに出かけた時の話です。母が買い物中、僕は独りでマネキンがいっぱいの女性服売り場を、マネキンのお尻の辺りをひとつずつ軽く手で触りながら歩いていたのですが、最後のマネキンが「何?!!」と僕に向かって振り返った時の恐怖を記憶してます。思わず後ずさりして腰が抜けそうでした!。そうです、ただ単にマネキンに着せた洋服を見ていた「生きている若い女性」だったのです。(←話が逸れました)
読書の決心も固いうちに、南青山にある青山ブックセンターまでシャマルを乗せ、ドライブがてらにQPで出掛けました。シャマルをgrindogのキャリーバックに入れてABCの中に!。興味ある本を数冊を台車に載せてまとめ買い。さっそく家にもどって本を読みはじめます。
なんか静かな空間で本の世界に入り込んでいくのが、久しぶりに新鮮な思いでした!
創造力を豊かな1年にするためにも‥‥‥

渡辺淳一の「鈍感力」。テレビを観ながらあっと言う間に読んでしまいました。
作者の言う、「今を生き抜く新しい知恵」=「鈍感力」という方程式は成立するのでしょうか?
自分のことを考えてみますと、あんまり「鈍感力」を兼ね備えてない人間だと思います。この本を読む前から、「鈍感力」という言葉は意識してませんでいたが、実生活において実はここ2・3年、鈍感になるよう意識的に生活してたのです。それでもまわりからは「神経質」とか「細かい」とか「口うるさい」と言われることは多いですが。(笑)
要は「クヨクヨせず大らかな気持ちで生活せよ!」ということでしょう。渡辺流「鈍感力」というキーワード(言葉遊び)でこのエッセイ集をまとめたに過ぎません。内容はフンフンとうなずけませんが、特に新しい内容でもなく、日頃から行き詰まった時に自分の頭で「こんな時はこうしよう!」と誰もが考えていることだと思いました。結局は「鈍感になれ」といっても、実は「まわりに敏感でありながらまわりに気付かれないようにセルフコントロールをしろ」ということを言いたいんだと勝手に解釈してしましました。
渡辺淳一の小説はその昔高校生の頃、大好きで読破しました。初期のころの医学・生命を主題としていた小説です。もともと外科医だった渡辺の生きざまにその強さと繊細さを感じ取ってました。でも今の渡辺文学は違います。男と女の恋愛小説。どうもいただけません。まったく渡辺の作品から遠ざかってしまいました。

そうだ!
以前からなのですが、QPの左後ろのドアが少しずれています。ボディ−剛性の問題でしょうか、ドアヒンジのせいでしょうか?それともイタリア職人気質の問題でしょか?。腫れ物をさわるように静かにドアの開閉をしてますが、一向によくなる気配がありません。ガレイタもちょっとこれだけはお手上げ状態。こんなときこそ「鈍感力」が私の心を救ってくれるのかしら?。きっとイタリア人は地球上で一番「鈍感力」を兼ね備えた国民かもしれませんね。
やっぱり「鈍感力」は必要です!(爆)

「もの」の見方や感じ方って、いろいろありますよね。
見る方向や、光のあたり方、その日の気分やまわりの環境、予めの知識を持って接したり、初めての体験といった具合にひとつの「もの」へのアプローチは無限なんですね。
それでは、今度は自分という視点はそのままにして「もの」を見るスケールを伸縮自在に変化させていったら、自分のまわりの世界ってどうなっていくのでしょう?
そんなこと考えたことありますか?
20世紀を代表するデザイナー、チャールズ&レイ・イームズ(家具で有名・イームズチェアなど)が残した1冊の本を手に入れました。
「POWERS OF TEN」(宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅)
それはそれは綺麗な写真と絵で構成され、世界的ロングセラーの名著なんです。
POWERS OF TENとは「10のベき乗」を意味するのですけど、10の2乗は100、10のマイナス1乗は0.1とか中学校の時に習ったのを覚えていると思います。
さてこの本は「10の25乗」の世界から「10のマイナス16乗」の世界をタイムマシーンに乗ったかのような気分で旅をすることになるのです。とても緊迫感があって、この本を読み(見)終った時はこの先の世界への興味まで、相当な余韻を残すことになってしまうのではないですかねえ。
10億光年のかなたからマクロな視点で地球の方を見つめ、マイナスのベき乗のミクロの視点で人間の生命体、DNA、素粒子の世界まで入り込んでいく旅行を体験できるなんてそうないのではないかと思います。

10の21乗メートル・銀河の庭

10のマイナス8乗メートル・二重らせん
そしてこの「POWERS OF TEN」にはとっておきの映像版DVDもあるのです。(私は未入手!)
ちょっとした
体験版をここでは紹介しておきましょう。まさにタイムマシーンに乗って地球まで辿り着き、ミクロの決死隊に変身して生命の中を旅する錯覚にさえとらわれてしまいそうです。このイームズの映像はスタンリー・キューブリック監督の超名作「2001年宇宙の旅」(1968)にも大きな影響を与えたとされてます。
「POWERS OF TEN」、一見の価値、大ありって感じですね!
自分という人間の存在確認、宇宙における地球の意味、地球と人間との共生意義、生命の神秘など、本を1ページ1ページめくりながら10のべき乗をひとつづつ減らしていく楽しみを一度味わってみて下さい。
余談ですが、私の仕事、建築設計は設計図の10のマイナス3乗(=1mm)から、実際の建物の10の2乗(=100m)の範囲の世界で展開させていただいております。

ついついタイトルに興味をもってしまい、雨の日曜日に読んでしまおうと買って読み干して(?)しまったのがこの本。
『憲法九条を世界遺産に』
漫才師・爆笑問題の「太田光」と、宗教学者?(文化人類学者?哲学者?)の「中沢新一」の対談である。
ボケとツッコミがバランス良く展開して話が進んでいくのかなと、期待しつつページをめくっていったのだ。そもそも「太田光の私が総理大臣になったら―秘書田中」というテレビ番組のマニフェストとして提案されたものが、今回対談という形でまとまったわけだ。最近の太田光の言動には歯切れが良過ぎて、右翼から脅されたり、ブログで誹謗中傷されたりいろいろな話題を私たちに振りまいてくれている。芸人にもいろいろな人がいるわけで、彼のような芸人の立場で、いまの無関心で、なにも言葉を発しない若い人たちを刺激するきっかけになるだけでも評価できると感じた。対談においては、太田光の方が大いに真面目で熱く(テレビで見せる、あのこめかみに血管を浮き立たせる感じで)自分の考えを一生懸命に語っている反面、中沢新一の方はボケを交えながら、太田の話を微妙にはずしながら、お互いに微妙に噛み合っていないところがっ微笑ましかった。中沢新一については個人的にあの「オウム事件」の時、宗教学者としてしっかりした発言もなく、自然にフェードアウトしていったことが、宗教学者として許せなかった思いがある。
さて対談は最初から宮沢賢治や、彼の思想や運動に影響した田中智学の話から始まる。宮沢賢治の小説・童話における平和思想、人間と動物、人間と植物との共生思想といった誰もが知っている彼の思想とは別に、満州事変などの戦争を肯定する一面も持っていたという。このあたりの矛盾が日本国憲法を見つめ直す鍵だということでこの対談は進んでいく。
異色の対談ということで、中身も全てが『憲法九条を世界遺産に』に固執することなく、いろいろな方向に話のベクトルが向いていたところが良かった。宮沢賢治の童話「月夜のでんしんばしら」に描かれる風景は、レーニン時代の社会主義のイメージと似ている話や、中沢を宗教学へ導いたという安楽庵作伝の「醒睡笑」にかなり興味がわいた。ちょっと紹介しよう。
「むかしの京都の日蓮宗と浄土宗のお寺の話なのだが、道を挟んで仲悪く喧嘩や
悪口が絶えなかった。ある時日蓮宗のお寺の坊さんが「法然」という名の犬を
飼い始め、「法然のバカ」と言いながら小突きまわした。すると今度は浄土宗
の坊さんが「日蓮」という犬を飼い「日蓮のバカ」と虐めた。エスカレートし
つつ、ある日散歩で道で出くわした2匹。取っ組み合いの大げんかになったの
だが、日蓮宗の坊さんは「法然がんばれ!」と応援し、浄土宗のお坊さんは、
「日蓮ガンバレ!」と応援し、ふと両者が気付いた時には、お互いの反目をや
めていたという滑稽なお話」
なんか話がずれてきたが、この本の内容もタイトルを考えるとつかみどころない感じだったが、自分自身の頭でもう一度、自分の国の平和憲法を考えさせてくれるという意味では、取り組みやすい本かも知れない。ジョン・レノンの「IMAGINE」のもつピース・メッセ−ジは世界中に歌としてみんなの耳を通して伝わった。「日本国憲法第9条」はどうやって世界にもっと広めることができるのだろうか。たとえ世界遺産とならなくとも、世界で唯一の戦争原爆被爆敗戦国となった日本人だからこそ、世界に強く訴えていかなくてはいけないと実感できた。安部首相も「美しい国へ」で世界との向き合い方を含めたいろいろな手法を述べているが、日本国憲法第9条がどう変わるのかを見守っていこうと思った。こうは書いてみたものの、自分の第9条に対する考えがどうやれば国民の一意見として、お国の耳に届くのだろうか?
もし改憲があるとすれば、どう「日本国憲法第9条」が変わるのか、現在の条文をもう一度確認することにしよう。
【日本国憲法第九条】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「医学的には脳死と診断されながら、月明かりの夜に限り、言葉を話すことのできる少女、葉月。生きることも死ぬこともできない彼女が望んだのは、自らの臓器を移植を必要としている人々に分け与えることだった。」(著者の内容紹介から)
作家・初野晴氏の第22回横溝正史ミステリ大賞受賞作「水の時計」。
メタファーとしての本のタイトル「水の時計」が、私のとてもお気に入り。
「月」「地球」「引力」「水「」人間」「生」「死」と切っても切り離すことのできない緊密なネットから「水の時計」というタイトルができあがっている。小説自体は「脳死」「医学」「臓器提供」「家族」「愛」「生きるということ」「死ぬということ」がテーマとなり、オムニバス形式で提供臓器ごとにテーマが緻密に絡み合って展開していく。葉月の身体からはどんどん臓器がなくなっていく。自分の意志を貫き通し、本当の真っ当な死を迎えることが果たしてできたのか‥‥。とにかく時計の針が進むことも忘れるくらい小説の世界に吸い込まれてしまう。

ところでみなさんは脳死になったらどうされますか?
実は私は「臓器提供意志表示カード」というドナーカードをいつも携帯しています。
カードの裏には脳死状態、心臓停止状態での臓器提供選択があり、万が一というときに自分の臓器が役に立つようにしています。自分の署名、配偶者の署名、親などの親族への告知が必要ですが、今のところ無事に生きておりますのでこのカードの出番はありません。
特に意図・目的あってカードを作ったわけでもなく、よく考えた末のカード署名でもなく、何も書いていないカードを手にした際に「提供しよう!」と直感的に思ってこのカードを作り携帯しているのです。
実際の脳死または植物状態というリアルな場に遭遇したことないですから、いざ身内がこのカードを携帯していたら、「はい、どうぞ。この人の意志ですから」と臓器提供にサインできるか自信はありません。でもきっと自分自身の一部でもお役にたつことあるだろうと瞬時に思った昔のことを記憶しています。

「水の時計」を読み終えて「自分(のパーツ)はどうなっているんだけなあ」とあらためてドナーカードのことを思い出した次第で、財布の中から取り出して確認してみたのでした。同時に「生」へのこだわりの気持ちを強めた瞬間でもありました。
やっぱり「生きている」って、す・ば・ら・し・い。

小道組曲(内容は
こちらをご覧下さい)
さてブログ
「大好きな恩師」アップの翌日にさっそく恩師よりメールをいただきました。
今日は特別に公開させていただきます。
『ブログ見ました。なにか伝説的教師みたいですね。
面白おかしい中に、ジーンときました。
今日からArchitect君はいい生徒であったと記憶
を修正しておきます。
今度は名作拙著『小道組曲』をブログにしてください。』
と言う訳で、私も中学卒業後32年の月日が経った今、初めて「いい生徒」だったと認識修正していただけてとても光栄に思っております。
メールを無許可で公開させていただいたお礼と言ってはなんですが、恩師の名作『小道組曲』をご紹介を兼ねて宣伝をさせていただきます。
H・I先生のお名前も出てしまいますが、作家だから仕方ないですよね!
みなさんも是非一度お読み下さいマセ。
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