
安芸の宮島に無事到着。「厳島神社」(1996年 世界文化遺産登録)をめざす。

高速船を降りると、さっそくいっぱいの鹿さんたちが出迎えてくれる。一時ニュースで「凶暴化した鹿たち」などと騒がれていたが、実に礼儀正しくおとなしい。鹿せんべいを持っている人の後に鹿たちは群がり、しきりにお辞儀をして「せんべい頂戴!」とねだる。せんべいをあげないと頭でお尻をつつく。それでもあげないとジーパンを噛む。やっぱり凶暴なのかしら?

さてゆっくりと海沿いの参道を進む。まだ朝も早かったのでひとは疎らだけど、午後になるとひとでごった返す。

宮島名物の「しゃもじ」や「もみじ饅頭」がどの店でも売られている。もみじ饅頭を機械で作っているところをガラス越しに見ることのできるお店もある。

いよいよ厳島神社の「大鳥居(重要文化財)」が見えてくる。
800年以上前の平安時代、平清盛によって宮島に建立された厳島神社。宮島という島自体が推古天皇の時代より「神道の島」として崇められていた経緯がある。海上の神殿は「竜宮城」「極楽浄土」をイメージされ作られたといわれる。大鳥居が海にあるのも神社の配置構成を考えれば納得できる。ちなみに形式は四脚作りといわれるもので鳥居主脚は天然楠、松の千本杭が海底に打ち込まれた上に掘立ててある。高さは約16m。過去に7回程倒れるがその都度修復。干潮時にはこの鳥居まで砂浜を歩いて行ける。

海に浮かぶ社殿全景。ちょうど訪れた時は運良く満潮であり「海上の神殿」を実感する。奥に本殿を構えるが海上にありながらこの本殿が倒壊したことはない。本殿の前に建ちふさがる5つの「平舞台(国宝)」が守ってくれているのだ。この平舞台、実は海の中の土台に固定されていない。よって大波を受けるとプカプカ(大袈裟な表現だが)といかだのように浮く構造で、波のエネルギーをこの「平舞台」で吸収する仕組みになっているのだ。何たる古人の知恵!。その上、平舞台や廻廊の床は板張りになっているのだが、7mm程度の隙間があり、下からの波の力をその隙間で逃がすような工夫さえされている。

「東廻廊(国宝)」より「本社祓殿(国宝)」をのぞむ。厳島神社が海の上にあり、背景が緑あふれる山に囲まれている感じがとてもよい。自然崇拝の思想を感じ取ることができる。日本建築における自然を背景とした神社・寺院建築群の「重なりの美学」にはいたく魅了されてしまう。

本社祓殿前の舞楽を演ずる「高舞台(国宝)」。能楽の舞台では最小のものだが、一度は本物の能楽をこの目で見たいものである。

東廻廊越しに五重塔と千畳閣をのぞむ。

廻廊板張りの床。流石にこれだけの観光客の固い靴底で踏まれれば傷むのも当然。前述の7mm程度の隙間から海水が噴水のように出てくるのも一度見てみたい。廻廊にとっては酷なんだけど‥‥。

高舞台より大鳥居を見る。さすがに平舞台先端の「火焼前」は大鳥居をバックに記念撮影のメッカと化している。

「能舞台(重要文化財)」は江戸時代に建立。日本では唯一の海の上の能舞台。床板を伝わる音が海に反射し、太鼓のような響きがあるという。また潮の満ち引きによって、板底と海面の距離で違う音を奏でる魅惑的な舞台である。

安芸名物の「焼き牡蠣」。いい香りにつられてついついお店へ。あまりの旨さにお皿いっぱいに盛られた焼き牡蠣の写真を撮り忘れた。我としたことが!!!

「千畳閣(重要文化財)」。桃山時代の豊臣秀吉により経堂として建立が発起され実現。

千畳閣に実際タタミを敷きつめると850帖とのこと。大きな屋根を支える複雑な小屋組も素晴らしい。暑い陽射しを遮り、中はとても快適空間に変身。

千畳閣から本土・宮島口方面をのぞむ。秀吉もこの光景をここから目にしたのだろうか?

本土宮島口と厳島神社を10分くらいで結ぶフェリー。

フェリーに乗って安芸の宮島にも別れを告げ、厳島神社をあとにする。
次はいよいよ広島の旅、最終地、どこに行くのかお楽しみに!