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ホーム > アーカイブ - 2007年03月

YAZAWA BIGだぜ!

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世田谷百景の「谷沢川の桜」
いろんな種類の桜が表情を変えて満開状態。人の姿もなく静かに咲いている。

昨晩、市ヶ谷のスタジオで打合せ後の駅までの帰り道。桜満開の神田川沿いの桜並木を愛でながら上を向いてゆっくり歩く。肌寒い中、お酒で酔っぱらった熱いサラリーマン達が青いビニールシートの上で声を荒らげている。その声は川岸の反対まで響き渡っている。

さっき通った用賀駅の広場。花見用食料満載と思われる発泡スチロールの箱をいっぱい鋪道に並べて、仲間と待ち合わせしている大学生。まわりも気にせずベチャクチャ騒々しく話しながら集っていた。これからみんなで砧公園にでも行くのだろう。

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何かにつけ桜を「肴」に集まる日本人。
桜が好きなのか?
お酒が好きなのか?
どっちでもいいけど、底なしに明るい人々の姿を見ていると、何となくだけど平和な感じ。

桜たちは
「もっとよく見てよ!10日間のために一生懸命に咲いているんだから!」
と叫んでいるように感じたのは私だけだろうか?

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[ 2007/03/31 15:49 ] 社会 | TB(0) | CM(10)

ブタリアン

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豚食堂「Butalian」でランチしました。
事務所(用賀)近くの住宅街に密やかな店を構えていますが、案外常連客は多いとみました。
ここの「豚丼」、はっきり言って体調万全な時(?)は美味しいです!。米沢牛ならぬ、牛と同じ環境で育てられた「米沢豚」を使用したドンブリですが、秘伝のタレにたっぷり絡ませた豚は、柔らかくご飯が見えないくらい重なって盛られてます。備長炭で焼かれた豚は香ばしく、程よい加減のジューシーさも持ってます。そうですね、ちょっとワイルドな「鰻丼」を想像していただければいいと思います。山椒、七味、青海苔の3種類をお好みで振りかけていただくのですが、私は山椒派。ヘタな鰻丼よりは美味しいと思われます。量も多く私はご飯を残してしまいました。(お百姓さん、スミマセン)
まだチャレンジしてませんが、「豚キャベ丼」というのがあります。ドンブリのご飯が四角いブツ切りキャベツにとってかわったドンブリです。女性にもヘルシーとのことですが、ダイエットになるんでしょうか?

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[ 2007/03/29 10:07 ] | TB(0) | CM(18)

団栗みたいなモンブラン

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今までで一番好みにあったモンブランかも知れない!
地元・用賀にある「ラス・ランブラス」というお店のモンブランです。
本来はチョコレ-トがメインのお店なのですが、ケーキも各種作っています。

なかなかかわいい姿でしょう。団栗(どんぐり)を想起させてくれます。表層のマロンペーストに大きな特徴があります。ほうとう(うどん)のような幅広い板状のペーストに細かい筋がほどこされ、中の甘さを押さえた生クリームをホンワリ包んでいる構成です。下層のタルトも固めでしっかりしていて安定感があります。
薄い板状のマロンペ-ストですが、すごく栗の濃厚な味が口の中で広がり十分に満足できるものです。中に埋まっている栗は渋皮煮の「熊本産の和栗」でとてもGoodな風味でした。とにかく素材の味がダイレクトに伝わってくるモンブランです。ただフォークを入れると崩れ方が大胆なので(笑)、多少食べにくいかもしれませんが、そこはご愛嬌ということで。

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■モンブラン・リスト
M1:QEDパティッスリー「和栗のモンブラン」
M2:ル パティシエ タカギ「チョモランマ」
M3:鴫立亭「モンブラン」
M4:馬車道十番館「モンブラン」
M5:アンジェリーナ「モンブラン」
M6:キル・フェ・ボン「モンブラン」
M7:パティッスリー ジャン・ミエ「モンブラン」
[ 2007/03/27 21:19 ] モンブラン | TB(0) | CM(12)

朝食のテーブルに

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朝食のテーブルに美味しいパンがあるだけで幸せを感じませんか?
お隣の駅・桜新町にパン好きだったら知らない人はいないというパンのお店があります。
「ベッカライ・ブロートハイム」
木に包まれた温かい雰囲気の店内はパンの香り漂うワクワクする空間になってます。しかもどれをとっても美味しそうなパンが目の前にいっぱい!!

国内外からここを訪れるパン職人さんも絶えず、雑誌やテレビでも紹介されることも多いお店です。以前、日本一おいしいバゲットという紹介がありましが、今回は「クロアッサン」と「パン・オゥ・フリュイ」を買ってみました。パン・オゥ・フリュイはレーズン・ドライフルーツが入っていて、口の中でいろいろな味の広がりを感じる美味のパンです。
パンって値段が高くても知れてます。「Pual」のパンにしろ、「ベッカライ・ブロートハイム」のパンにしろ、とにかく美味しいパンは口に入れた瞬間に感じてしまいます。見た目や香りで判断がつくこともタビタビですがね。

お店の方もパンに愛情をそそいで、袋に詰めてくれるという「こころ」がヒシヒシと伝わってきます。また休みの日の前になったら、パンを買いに行こぉ~っと!

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[ 2007/03/26 17:51 ] | TB(0) | CM(6)

マスゲーム体験!

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いつもながら競技場におけるマスゲームには驚かされますよね。
あの一糸乱れぬあの「揃い」はほんとに練習でできるものなのか、それとも民族の血に因るものなのかよくわかりませんが、ひとつの美学であることは事実だと思います。

さてこの「1024人応援団!」というこの画像ジェネレーター。
32人×32人=1024人がお望みの画像をプラカードで表現してくれるという代物。
自分の好きな絵をマスゲームでやってくれるなんて、きっと高台から目の当りにしたら相当気分良いもんなのでしょうね!

遊び心満点!ディテールもよくできています。
遊びの視点っていっぱいあるんですね!。こういうのを考え付くのも大きな才能のひとつです。
あなたなら何をマスゲームで表現してもらいますか?
あの方の気分になってジェネレーターに指示してみてください。

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[ 2007/03/23 17:06 ] 社会 | TB(0) | CM(2)

ホフ・ブロウ

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今は昔、22年ほど前であろうか、このお店にはじめて訪れたのは。
港町横浜・山下公園の近く(県民ホ-ル裏)にひっそりと佇む「ホフ・ブロウ」。
昭和22年からここ横浜で洋食レストラン&バーのお店を構え、今に続いている歴史あるところだ。かつては港に停泊した船員や船旅客がいっぱい立ち寄ってということもあり、店内はその面影をのこした雰囲気あるインテリアになっている。入口から左がレストラン、右がバーに別れているのも趣き深い。

私がはじめて建築の現場で設計監理をしていた「横浜市民会館・関内ホール」。ほぼ横浜の住人みたいな生活をしていたが、その際よく行ったのがこの「ホフ・ブロウ」であった。
その当時はいつもポチャとしたドイツ人ママがいつも店の奥で、客に笑顔をふりまきながら立っていたものだ。とてもアットホームな雰囲気のお店だった。いつも定番の「温かいポテトのサラダ」と「スパピザ」を頼んで、お腹いっぱいで店を後にしていた。

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春分の日、久しぶりに入ってみる。お昼ちょっと前だったこともありまだ人はまばら。20年以上たっても注文するのは全く同じもの。まず「温かいポテトのサラダ」が出てくる。かなり酢の効いたホクホクのポテトだが、これをハフハフしながら食べるのがいい。ビールが飲める人にはいいおつまみになるんだろうな。そのうちにメインの「スパピザ」登場。こんなに量が多かったかしら?。食べ切る自信喪失!!。でもアツアツの鉄板が美味しそうな雰囲気を出している。「スパピザ」とは文字通り、スパゲティー(ナポリタン風)の上にとろけたチーズがたっぷりのった料理で、ホフ・ブロウでは「ベテラン・メニュー」になっている。オーブンで表面がちょっと焦げたチーズ。フォークで割りながら中のスパゲティーをかき出すと、どんどん量が増えていく感じさえする。味は今でこそ突出したものではないが、とても家庭的なもの。案の定、お腹はパンパン。

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帰る頃「ホフ・ブロウ」にはお客さんが徐々に増え、熟年のカップルがビールで乾杯していたり、4人の家族で元気良く食事していたり、バーの方では若い女性がひとりでスパピザを食べていたりして、雰囲気は昔と変わっていないようだ。ただあのちょっと肥った「ホフ・ブロウのママ」がいないのが寂しい感じがする。ママから出ていた明るいオーラがいつまでも「ホフ・ブロウ」から消えないことを願いつつ、山下公園の方へ歩き出す。

[ 2007/03/22 10:30 ] | TB(0) | CM(12)

ちょっと宮ヶ瀬湖まで

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《木漏れ日あふれるレイクラインは手頃なドライブコース》

こんなキャッチコピーのドライブ雑誌につられ、日曜日はQPでお出かけ。
東名高速を冷たい風を切りながら厚木ICまでひとっ飛び。県道64号を北上すること30分、目的地の宮ヶ瀬湖が目に飛び込んでくる。あまり知られてないが、首都圏最大級のダムだそうだ。
緑の山々に囲まれ、真青な大きな空のもと、深い蒼色のを見ているだけで、都会から離れた気分でリフレッシュできる。またQPを降りると冷たい風が頬を撫で打つ。
気分もよくして帰路につく。あとで考えたら「宮ヶ瀬ダム」を見るのを忘れていた!。これも愛嬌?。

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いろいろな色の鉄橋を楽しむ

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宮ヶ瀬湖と記念撮影

帰路は楽しみにしていたキャッチコピーにある「宮ヶ瀬湖レイクライン」を走って、東名・秦野中井ICを目指す。きっと湖のほとりを走しながら山々を鑑賞できるワィンディング・ロードだと思い込み、ウキウキした気分でQPのハンドルを握りしめる。
しかしレイクラインを走り出してみると、ハンドル握る手には汗、汗、汗。どうも進むにつれ雲行き怪しい道なのだ。でも標識は県道70号となっている。しかも標識の下には「29km」と数値が明記されている。秦野中井までの距離だろうか?。最初は2車線だった県道もすぐに1車線となる。そのうちどんどん道幅が狭まり「林道」といった雰囲気に。どんどん進むとやがて「けもの道」のような県道と化してしまった。もう絶対に対向車とはすれ違えない!!。バックもできない!!。普通に走っていても道の両側からツンツン飛び出た枯れ枝がQPのボディを傷つけないか不安に襲われてしまう。自転車ともすれ違ったがどちらかが停止しなければ、やっぱりすれ違えない。ふと後悔しはじめたのが、あと終点まで23km。こんな状況が20km以上も続くと思うと気が滅入ってしまう。

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けもの道はひたすら続く

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ちょっとひといき

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またひといき

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またまたひといき

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再度またまたひといき

とはいううもののすれ違い個所がいくつかは存在し、そこで休んではまわりの自然を思いっきり深呼吸し、身体いっぱいに自然を受け止める。QPのエンジンからは焦げ臭い匂いが漏れてくる。山道はいつもこんな感じなのだが。ひと休みして気分転換後また「けもの道」を手に汗握りながら進む。ここまで来るともう「思いっきりドライブ楽しんでやる!」とちょっと半分グレ気味。そうこうしているとだんだん道が多少広くなってくる。パッと開けた光景が目に飛び込んでくる。遠くに大平洋が広がっている!!。街の家々が模型のように小さく点在している!!。ひとまず「けもの道」から抜け出せたことを祝福し、気分的に開放される。でもまだこんな山の上なんだとふと気付く。またすこし下ってみると、今度は「富士山だ!!」と声をあげてしまうくらい美しいシルエットが目に飛び込んでくる。もう安心。あの世から現世にもどった心地。(ちょっとオーバーかな?)

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やっと視界が開けた!

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峠を越えると遠くには相模湾をのぞむ

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やっぱ富士山はいいねぇ~

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富士山をバックに最後のひととき

「予め知っていたら絶対に走らないコース」も「知らずに走ってみると意外といろんなことを知るコース」となった、日曜日の実りあるQPドライブだった。


[ 2007/03/19 11:43 ] トレッキング・旅 | TB(0) | CM(12)

鈍感力とQP

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渡辺淳一の「鈍感力」。テレビを観ながらあっと言う間に読んでしまいました。
作者の言う、「今を生き抜く新しい知恵」=「鈍感力」という方程式は成立するのでしょうか?
自分のことを考えてみますと、あんまり「鈍感力」を兼ね備えてない人間だと思います。この本を読む前から、「鈍感力」という言葉は意識してませんでいたが、実生活において実はここ2・3年、鈍感になるよう意識的に生活してたのです。それでもまわりからは「神経質」とか「細かい」とか「口うるさい」と言われることは多いですが。(笑)

要は「クヨクヨせず大らかな気持ちで生活せよ!」ということでしょう。渡辺流「鈍感力」というキーワード(言葉遊び)でこのエッセイ集をまとめたに過ぎません。内容はフンフンとうなずけませんが、特に新しい内容でもなく、日頃から行き詰まった時に自分の頭で「こんな時はこうしよう!」と誰もが考えていることだと思いました。結局は「鈍感になれ」といっても、実は「まわりに敏感でありながらまわりに気付かれないようにセルフコントロールをしろ」ということを言いたいんだと勝手に解釈してしましました。

渡辺淳一の小説はその昔高校生の頃、大好きで読破しました。初期のころの医学・生命を主題としていた小説です。もともと外科医だった渡辺の生きざまにその強さと繊細さを感じ取ってました。でも今の渡辺文学は違います。男と女の恋愛小説。どうもいただけません。まったく渡辺の作品から遠ざかってしまいました。

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そうだ!
以前からなのですが、QPの左後ろのドアが少しずれています。ボディ-剛性の問題でしょうか、ドアヒンジのせいでしょうか?それともイタリア職人気質の問題でしょか?。腫れ物をさわるように静かにドアの開閉をしてますが、一向によくなる気配がありません。ガレイタもちょっとこれだけはお手上げ状態。こんなときこそ「鈍感力」が私の心を救ってくれるのかしら?。きっとイタリア人は地球上で一番「鈍感力」を兼ね備えた国民かもしれませんね。
やっぱり「鈍感力」は必要です!(爆)

[ 2007/03/15 09:55 ] | TB(0) | CM(20)

Caro Gran Sport R.C.

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Caro Gran Sport R.C. 2007

日曜日のお台場。冷たい雨が降っていましたが、フジテレビ前の広場にはいっぱいの色とりどりのクラシックカーが並んでいました。
「Caro Gran Sport R.C. 2007」
みなさん土曜日から2日間、600km走行のタイムラリーに出掛け、そのゴール場所がお台場だったのです。
Maserati Club Of Japan の方々も美しいヴィンテージ・マセラティで参加されているとの情報を、RYUさんからいただき出掛けた次第です。
裏の方にQPを駐車して会場に入れたんですが、後で良~く見るとロープが張ってあり、一般の人は立ち入り禁止だったと帰る時に気付きました(勝手に入りスミマセン)。美しい車がいっぱいある中で、MさんのMistralとBさんのGhibliを見つけ、さっそく美しい車体を写真に!!

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Mistral

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Ghibli SS

その後ロビーに入ってRYUさんやMさんたちに挨拶だけでもと思ったのですが見当たらず困っていたところ、遠くにRYUさんを発見。ご挨拶に行こうと思った瞬間、なんと目の前に知りあいが!。というか私の仲人さんがいらっしゃいました。友達とMGで2日間運転してきたとのこと。いろいろとラリーのお話が弾んでしまい、RYUさんを見失う結果に。やむを得ず!!。そうそう私の仲人さんもQPIV→3200GTのオーナーでした。最近の調子を伺ってみたらマセラテイを手放してしまったとか、おお残念!
でも参加されたみなさんのラリー日記からも楽しい雰囲気がたくさん伝わってきました。
帰りの首都高速に向かう道でも、反対車線をたくさんのクラッシクカーが元気にゴールを目指して走ってました。心の中で「頑張れ!もう少しだぞ!」と応援していました。

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QPIVも重い雲のもとで記念撮影。お前もいつの日か、仲間入りさせてもらえるとイイな!


[ 2007/03/13 10:26 ] MASERATI | TB(0) | CM(10)

錦帯橋を渡る

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ここは岩国・錦帯橋。今回の旅、最後の訪問地。
厳島神社からはフェリー+電車+バスを乗り継いで1時間くらいで辿り着く。
日本に美しい橋は多かれど、この錦帯橋ほど美しい橋はそう簡単には見つかりはしないだろう。

錦帯橋は中国・西湖にある「錦帯橋」をモデルに1673年に架橋されている。大工の児玉九郎右衛門の設計により、川幅200mの錦川に5連のアーチ橋を架けることとなる。木造のアーチ橋はその橋台を石垣で作り、川の流れの抵抗を少なくするための形状に積まれた。特に中央の3連のアーチには木造であるにもかかわらず橋脚がなく「カテナリー曲線(懸垂線)」を採用しているところにこの錦帯橋の特徴と素晴らしさを見い出すことができる。そして錦帯橋の向こうには「岩国城」をのぞむことができる。

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アーチ橋の主桁は、石の橋脚から長さ3.6~6.5mの木の桁材をくさびを挟みながら11段にわたって帯鉄(黒い部分)で束ねながらせり出していく構造。簡単に言うと「南京玉すだれ」を想像してもらうとわかりやすかも。この桁が5列平行に並んで梁材で横方向に結合される。とにかく下から見てもその構造システムは美しい。木と小さな鉄のコラボーレーションの美学とも言える。

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どうしてもこれをやりたかった!!。錦帯橋の形となっている「カテナリー曲線(懸垂線)」の確認実験。さっそく河原に下りていって、東京から用意していったチェーンの両端をつまんで垂らす。重力に従った自然の曲線、これがカテナリー曲線(懸垂線)である。このカテナリー曲線を逆さにすると、応力伝達に無駄のない自然のかたちの橋ができる仕掛けだ。写真のチェーンを逆さにすると錦帯橋に重なるのが想像できるだろう。ちなみにこのカテナリー曲線を使った建築はたくさんあるが、スペイン・バルセロナのアントニオ・ガウディ設計のサグラダ・ファミリアなどが有名である。

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実際に橋の上を渡ってみる。幅は5m。初めの急な勾配のところは階段になっていて、橋の上の方にいくと自然にスロープに変わる。昇り降りに苦痛は伴わない(笑)。橋に描かれる影のシルエットがまた美しくつい見とれてしまう。

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石垣の橋脚は流線形で水の流れ抵抗を最小限にしている。よ~く見ると大きな石同士はクサビが打ち込まれ緊結されているのが興味深い。

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1950年(昭和25)のキジヤ台風で洪水に見舞われここまで水位が上がる。このあと無惨にも錦帯橋は水の力によって破壊されてしまう。(このお写真のみ拝借)

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小春日和の長閑な光景。眺めているだけで心が癒される。

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錦帯橋を渡った先にちょっとした茶屋群があるが、一番人気で賑わっていたのが「佐々木屋小次郎商店」。特に「日本一のアイスクリーム専門店」と銘打ってあるのが面白い。岩国は佐々木小次郎の故郷でもある。

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さっそく買ってみる。左が「プリティ」、右が「あずちゃ」、2種混合のソフトクリームです。何の混合だかわかる?

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吉香公園で満開の紅梅

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錦帯橋をあとにしてまた広島駅にもどる。19:00発のぞみ号で一路東京まで3時間50分の旅。
広島名物「あなごめし」を味わいながら広島をあとにする。

楽しい思い出をいっぱい作ることができた旅でした。
長~い旅行記におつき合いいただき誠にありがとうございました。

[ 2007/03/12 09:49 ] 建築 | TB(0) | CM(13)

海上神殿の美学

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安芸の宮島に無事到着。「厳島神社」(1996年 世界文化遺産登録)をめざす。

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高速船を降りると、さっそくいっぱいの鹿さんたちが出迎えてくれる。一時ニュースで「凶暴化した鹿たち」などと騒がれていたが、実に礼儀正しくおとなしい。鹿せんべいを持っている人の後に鹿たちは群がり、しきりにお辞儀をして「せんべい頂戴!」とねだる。せんべいをあげないと頭でお尻をつつく。それでもあげないとジーパンを噛む。やっぱり凶暴なのかしら?

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さてゆっくりと海沿いの参道を進む。まだ朝も早かったのでひとは疎らだけど、午後になるとひとでごった返す。

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宮島名物の「しゃもじ」や「もみじ饅頭」がどの店でも売られている。もみじ饅頭を機械で作っているところをガラス越しに見ることのできるお店もある。

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いよいよ厳島神社の「大鳥居(重要文化財)」が見えてくる。
800年以上前の平安時代、平清盛によって宮島に建立された厳島神社。宮島という島自体が推古天皇の時代より「神道の島」として崇められていた経緯がある。海上の神殿は「竜宮城」「極楽浄土」をイメージされ作られたといわれる。大鳥居が海にあるのも神社の配置構成を考えれば納得できる。ちなみに形式は四脚作りといわれるもので鳥居主脚は天然楠、松の千本杭が海底に打ち込まれた上に掘立ててある。高さは約16m。過去に7回程倒れるがその都度修復。干潮時にはこの鳥居まで砂浜を歩いて行ける。

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海に浮かぶ社殿全景。ちょうど訪れた時は運良く満潮であり「海上の神殿」を実感する。奥に本殿を構えるが海上にありながらこの本殿が倒壊したことはない。本殿の前に建ちふさがる5つの「平舞台(国宝)」が守ってくれているのだ。この平舞台、実は海の中の土台に固定されていない。よって大波を受けるとプカプカ(大袈裟な表現だが)といかだのように浮く構造で、波のエネルギーをこの「平舞台」で吸収する仕組みになっているのだ。何たる古人の知恵!。その上、平舞台や廻廊の床は板張りになっているのだが、7mm程度の隙間があり、下からの波の力をその隙間で逃がすような工夫さえされている。

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「東廻廊(国宝)」より「本社祓殿(国宝)」をのぞむ。厳島神社が海の上にあり、背景が緑あふれる山に囲まれている感じがとてもよい。自然崇拝の思想を感じ取ることができる。日本建築における自然を背景とした神社・寺院建築群の「重なりの美学」にはいたく魅了されてしまう。

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本社祓殿前の舞楽を演ずる「高舞台(国宝)」。能楽の舞台では最小のものだが、一度は本物の能楽をこの目で見たいものである。

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東廻廊越しに五重塔と千畳閣をのぞむ。

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廻廊板張りの床。流石にこれだけの観光客の固い靴底で踏まれれば傷むのも当然。前述の7mm程度の隙間から海水が噴水のように出てくるのも一度見てみたい。廻廊にとっては酷なんだけど‥‥。

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高舞台より大鳥居を見る。さすがに平舞台先端の「火焼前」は大鳥居をバックに記念撮影のメッカと化している。

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「能舞台(重要文化財)」は江戸時代に建立。日本では唯一の海の上の能舞台。床板を伝わる音が海に反射し、太鼓のような響きがあるという。また潮の満ち引きによって、板底と海面の距離で違う音を奏でる魅惑的な舞台である。

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安芸名物の「焼き牡蠣」。いい香りにつられてついついお店へ。あまりの旨さにお皿いっぱいに盛られた焼き牡蠣の写真を撮り忘れた。我としたことが!!!

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「千畳閣(重要文化財)」。桃山時代の豊臣秀吉により経堂として建立が発起され実現。

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千畳閣に実際タタミを敷きつめると850帖とのこと。大きな屋根を支える複雑な小屋組も素晴らしい。暑い陽射しを遮り、中はとても快適空間に変身。

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千畳閣から本土・宮島口方面をのぞむ。秀吉もこの光景をここから目にしたのだろうか?

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本土宮島口と厳島神社を10分くらいで結ぶフェリー。

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フェリーに乗って安芸の宮島にも別れを告げ、厳島神社をあとにする。
次はいよいよ広島の旅、最終地、どこに行くのかお楽しみに!

[ 2007/03/10 17:14 ] 建築 | TB(0) | CM(8)

瀬戸内の島々を前にして

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マセラさんの「しゃぶ蘭」をあとにし、結局ホテルのチェックインは夜の10:00を過ぎていた。
広島の中心街からタクシーで15分程、南に向かって走る。元宇品という臨海にある「広島プリンスホテル」のフロントにはお客の姿もすでになく、静まりかえったホールで響く池の水の音だけが耳に届く。

設計は池原義郎氏。プリンス系建築も多く手掛けている著名な建築家である。
地上23階・客室数550室のホテル(高層部)は正三角形をした平面だ。意外と三角形平面の建築は自分の場所を認識しにくいといつも私は感じてしまう。
朝食バイキングは最上階のレストランでとることに。夜ホテルに到着したこともあり、改めてホテルから観るその景色の素晴らしさに感動。瀬戸内の島々の光景は今まで体験したことないもので興味深いものだ。最上階の23階は1周できる。どこにいても海を感じるオーシャン・ヴューなのだ。バイキングはまあまあ。ホスピタリティーは?、というのもどうもアルバイトのような感じの若い子たちが制服を着て歩き回っている。プリンスホテルも大変な時、目をつぶることにする。

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朝の光景。23階から点在する瀬戸内の島々を見る。海にも立体感が出て興味深い

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23階からマリーナ、そして遠くの広島の街を見る

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エントランスのガラスのキャノピー(庇)

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予想以上に人の往来の多い1階ホールの螺旋階段

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池の水上で結婚式もできる。親族は螺旋階段から取り囲んだりして!

吹抜けのある1階のロビーホールでは、大きな円形の池のまわりを2階までゆったりとした螺旋階段が回っていく。夜見た時は誰も歩かない「見せる螺旋階段」だと感じていたが、なんと朝にはいっぱいの人が螺旋階段をテクテク歩いているではないか!。これには正直ビックリ。いろんなところに池原氏の手の込んだデザイン・ディテールを見い出すが紹介は省略させていただく。

ここプリンスホテルには目の前に港があり、プレジャーボートのマリーナも隣接する。港からは次の訪問地「厳島神社」のある宮島まで高速船で30分程。これに乗って宮島まで海の上の旅を楽しむことに。朝一番、プリンスホテルをあとにする。

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瀬戸内海汽船の高速船「和加」。定員96名 速度21ノット(40km/h)

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海からプリンスホテルをながめる。Good Location!

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高速船の中。海も凪ぎだったのでそんなに揺れず快適だった

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目的地・宮島に到着。いよいよ世界文化遺産「厳島神社」に向かう

[ 2007/03/09 20:36 ] 建築 | TB(0) | CM(6)

マセラさんのしゃぶ蘭で

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「こ・ん・に・ち・は」
「いっらっしゃいマセ」
「あの~東京から来ましたArchitectと申します」
「(*o*)え!?Architectさん!」

という出合いが雛祭りの夜、広島でありました。
場所はmixi友人・マセラさんのしゃぶしゃぶのお店「しゃぶ蘭」
結婚披露宴でお腹がいっぱいでしたけど、せっかくの広島の旅、マセラさんのお店でしゃぶしゃぶをいただこうと遠慮なく出掛けた次第です。

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お店はとても清楚なインテリアで落ち着いてます。さっそく奥の席に案内いただき、改めてマセラさんとご挨拶。マセラさんとは初対面でしたが、以前からのお友達のように話しが思いっきりはずんじゃいました。(笑)
手際よくしゃぶしゃぶ鍋がテーブルにセットされたところで、さっそく注文!。「コースは無理!」と私のお腹と相談して、アラカルトで「黒毛和牛」「野菜盛り合せ」を注文。出てきた!出てきた!すご~く美味しそうなお肉!霜降りと艶がピカイチじゃないですか!。さっそくお肉を箸で掴んで湯の中に。マセラさんそこで「3秒くらいね!」。色が微かに変わったところでマセラさんご自慢の特製ゴマダレにお肉を。ゆっくり口に。う~ん!お肉がトロける~、しかもお肉の甘味がゴマダレと一緒に口に広がる~、ノドの奥を通り越した感覚の余韻を楽しみつつ、次のお肉へ。完食!!。あまりの美味しさに2枚目のお皿のお肉も追加注文してしまいました。どうしてこんなに食べられるんでしょう???

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マセラさんは大の阪神ファン。有名な野球選手もたくさんお店に食べに来られるとのこと。そしてマセラティQP(ませらさん=V、私=IV)のお話にも花がいっぱい咲きました。ペットのワンちゃん(マセラちゃん)や家のことなど短い時間でしたがいっぱいお話をさせていただきました。
元気印のマセラさんからは凄いエネルギーとポジティブな思想をいっぱいいただきました。
また広島に行った際は「しゃぶ蘭」でしゃぶしゃぶして、マセラさんに喝!を叩き込んでもらおうと思ってます。(笑)
みなさんも広島に行かれた際には、是非「しゃぶ蘭」でしゃぶしゃぶとマセラさんとの楽しいひとときを堪能してみてください!

「それじゃ、ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。また来て下さいね!」

ということですっかり夜も更けた新天地を歩いて大通りに向かいます。タクシーに乗って今夜の宿・海のほとりの「広島プリンスホテル」まで。

[ 2007/03/09 10:30 ] | TB(0) | CM(12)

平和の鐘を響かせて

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世界平和記念聖堂。塔と教会のバランス・プロポーションが絶妙にいい

弟の結婚披露宴を終え、リーガロイヤルホテル広島をあとにする。ポカポカの春陽気が心地よく、歩いて目的地「世界平和記念聖堂」をめざす。エリザベト音楽大学の学生さんに道を尋ねながらなんとか辿り着く。
設計は私の大好きな村野籐吾氏。特に晩年からの活躍は素晴らしいもので、90歳を超えても建築に対する情熱とその創作意欲は衰えず、死ぬ前日まで鉛筆を握ってしたという伝説の建築家である。

入口で修道服に身を包んだシスターに挨拶をして見学(誰でも見学は可能)と写真撮影の許可をいただき、15分くらいいろいろなお話しを伺うこととなる。
かつて原爆が投下される前、この地にはカトリック・イエズス会の修道院・教会があったが、原爆によって全てが倒壊・焼滅してしまったこと。もう少し早く来ればカテドラルの塔の方も案内できたこと、教会にあるパイプオルガンはさっきまで練習していたこと、あと1時間もするとカテドラルの鐘の音が聴けること。すべてタイミングを逸してしまうことになるのだが諦めざるを得ない。

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教会正面の円鍔勝三氏によるレリーフ

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「原爆の灰を含む広島の土」で成型されたレンガの外壁

さて話を戻し、戦後何もなくなった広島の地に原爆犠牲者を悼み、世界平和を祈願すべく再度聖堂(カテドラル)の建設にカトリック教会はとりかかる。設計者選定はコンペティション(設計競技)で行われ、結果は1位該当なし、2位に平和記念資料館設計者の丹下健三氏が選ばれた。しかしながら最終的にはこのコンペティションの審査委員長だった村野籐吾氏が設計を担当することになる。
45mの高さを持つカテドラルの塔は細長い直方体に見えるが、よくみると徐々に先細りしているのがわかる。コンクリートの構造フレームの間にレンガを埋込むという手法で建築はできているが、このレンガは「原爆の灰を含む広島の土」で成型され、そのレンガの使用個数も原爆犠牲者とほぼ同数であると謂われている。レンガの積み方も意図的に「人の手」の痕跡を残した有機的な壁の表情に仕上がっているのが趣きがあってよい。
原爆投下後の絶望に満ちた広島の街に「希望の鐘の音」を響かせたに違いない。また広島の街のどこからもそのカテドラルの塔が臨めたに違いない。鐘の音は荒んだ心に潤いを与えてくれた唯一の「音」だったと推測する。

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斜めのゴールドが印象的

さっそく教会の中に。
その空間の大きさにまず驚く。小春日和の陽気だったが、中に入るとヒンやりしていて頬を打つその空気の存在とユリの花の香りが心地よい。身が引き締まる思いがするのと同時に、極度に暗い大きな空間が神聖な場を演出してくれる。いつも思うことなのだが、神聖な空間には人を魅了する見えない力がある。仏教でいえばお寺、キリスト教でいえば教会、イスラム教でいえばモスク、どの宗派にも属さない私ではあるが、いつも心洗われる思いがするのは私だけだろうか?
背後に聳えるパイプオルガンも立派で、きっと神聖な音が教会中に響きわたるのであろう。参考までに音楽専用ホールでは気積(客席ひとりあたりの空間容量)が10m3/人以上あることが最低条件となる。この教会はホールで言えば「シューボックス・タイプ」になるのだが、響きはかなりよさそうである。再度、神聖な音色を聴けなかったのが惜しまれる。

この世界平和記念聖堂も平和記念資料館とともに重要文化財に指定されている名建築である。
いつまでも人類平和・地球平和の鐘の音を広島から世界に向けて轟かせてほしいと思いつつ聖堂をあとにする。

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色鮮やかなステンドグラス

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夕方帰るころには夕日で表情が変わっていた

[ 2007/03/08 09:14 ] 建築 | TB(0) | CM(10)

イサム・ノグチの橋

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平和大橋。生き物のようなエネルギッシュなデザインが印象的

ふたつの大きな橋がある。1952年に完成した。
その名を「平和大橋」と「西平和大橋」という。
広島・平和記念資料館正面にある大通りの左右に位置し、静かにふたつの橋は「時」を刻み続けている。

橋をデザインしたのは彫刻家イサム・ノグチ。
前述の原爆死没者慰霊碑デザイン以前に、やはり建築家・丹下健三氏から橋のデザインを依頼され、実現した貴重な橋である。
橋にはアート・ネームが付けられている。東を流れる元安川にかかる橋が「Ikiru(To Live)」、西を流れる元太田川にかかる橋が「Shinu(To die)」。
対比されたそのアート・ネームは、「生きる─動─光─明─太陽─東」「死ぬ─静─影─暗─月─西」をイメージされるものだ。陰陽・万物流転などがイサム・ノグチの頭の中に渦まいていたのかも知れない。興味深いのはこの命名の前に存在したアート・ネームだ。平和大橋が「Tsukuru(To Build)」、西平和大橋が「Yuku(To Depart)」というが、当時の荒廃した広島の姿を目の当りにしてイメージの微妙な修正をおこなったのであろうか?一度イサム・ノグチの頭の中を覗いてみるのも面白そうだ。

さて実際は誰にも気付かれず、静かに佇んでいるといった風情の印象だが、私が腰を曲げたり、座ったりしながらカメラを構えていると、何を撮っているんだろうと車から顔を出す人、自転車に乗って通り過ぎてから振返る人などさまざまなアクションに出会った。イサム・ノグチの魂を感じつつ、いろんな角度から眺めているひとりの人間と化していた姿だったのかも知れない。

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太陽に向けた顔。平和の象徴・ハトの飛び立つ瞬間の撮影に成功!(笑)

ところでこのふたつの橋、架け替えの話が持ち上がっているらしい。昨今の耐震性能の問題、交通量の増大などへの対応が必要になったとのこと。また橋の欄干が低いため、自転車に乗って渡る人は川に落ちそうで恐いといった声もある。実際に私も立ってみる。普通だったら胸くらいまでの高さはあるところだけど、確かに腰骨くらいまでの高さしかない。バランスを崩せば、私も川にまっ逆さま!(笑)

しかし平和記念資料館と一体化したふたつの橋。架け替えになってもデザインを替えることなく、イサム・ノグチの精神を受け継いだ、新たな彫刻橋に生まれ変わってほしいと強く感じつつ、ふたつの橋をあとにする。

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西平和大橋。力強い欄干とその美しい陰翳

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欄干の高さを人を比較。かなり低いのがわかる

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手前の大きなオブジェの子供が欄干にいっぱい並ぶ

[ 2007/03/08 09:10 ] 建築 | TB(0) | CM(4)

平和記念資料館を訪れて

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平和記念資料から慰霊碑、原爆ドームへの軸線を見る

1945年8月6日、広島は原子爆弾という人類未体験の核兵器によって一瞬にして壊滅した。
そして人類として後世に残さねばならぬ「記憶」をしっかりと展示しているのが、平和記念公園の中にある、ここ「平和記念資料館」である。建築家・丹下健三氏設計による建築は昭和の名建築として重要文化財にもなっている。

この平和記念公園を訪れると、広い敷地に配置されたいくつかの「建築の軸線(AXIS)」を感じることができる。「平和記念資料館─原爆死没者慰霊碑─平和の灯─原爆ドーム」が一直線上に配置され、それぞれの建築の強い結びつきを意識させ、そこに訪れた人たちに強いメッセージを与えることになる。
そして慰霊碑の前で手を合わせ、原爆で亡くなった方達のご冥福をお祈りする。その際に慰霊碑のヴォイドを通して見える遠くの原爆ドームの姿が印象的であった。この「原爆死没者慰霊碑」には興味深い物語がある。当初この慰霊碑を丹下健三氏が推挙する彫刻家イサム・ノグチにそのデザインを託す。彼のイメージしたその慰霊碑+納骨堂はそのほとんどが地中に埋められ、死者の魂を大地に眠らせ鎮めるという素晴らしいコンセプトと造形美のものであった。「エナジーヴォイド」という彫刻を想起させるような3次曲面の柔らかなフォルムだったのだ。しかし戦後の日本、日本人とアメリカ人のハーフであったイサム・ノグチは敵国アメリカ人の血が混じっているという理由のみで、この案は一瞬にして幻と化してしまうのである。

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原爆ドーム。この真上で原爆が爆発した

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平和記念公園から元安川越しに見る原爆ドーム

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原爆死没者慰霊碑。イサム・ノグチのイメージを残しつつ、はにわの家型を丹下がリ・デザインしたとされる。ヴォイドの中に原爆ドームが見える

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資料館から見ると原爆ドームは慰霊碑の上に顔を出す。近づくにつれ慰霊碑のヴォイド(穴)の中に原爆ドームは納まっていく

さて「平和記念資料館」は本館を中心に東に新館、西に議会棟が連絡通路を介して連結された美しいプロポーションの近代建築である。この資料館の入場料はなんと50円。「恒久平和」への強い思いが感じられる。実際の展示をすべて詳細にみていくと3時間はかかるという。広島の歴史~戦争突入~原爆投下~被災後の広島~と中へ進む程、その内容は目を覆いたくなるような悲惨な状況を目の当りにする。原爆投下直後の広島の姿を頭の中で想像してみるが、その場・瞬間の悲痛な叫び・助けを求める声・焼き尽くされてしまった街の匂いなど、どれひとつとっても想像を超えていることを実感してしまう。
日本人のみならず世界中の人たちがこの資料館を見学することによって「恒久平和」への強い意識がもっと身近なものになり、戦うことの愚かさ・殺し合うことの愚かさを痛感するに違いない。資料館には多くの外国人(アメリカ人だろう)もたくさん見学していた。平和な現在であっても、この地球から戦争がなくなることはない。人間の本能であろうか、殺しあうことは?。そうではない!人間だからこそ「平和」を築くことができるはずだ、と心より強く感じる。
資料館から一歩踏み出して心地よい空気を深呼吸するが、頭の中の重い感じがいつまでも抜け切らない。ひとりひとりが「平和とは何か?」と自問するする時代はいつまでも続くのだろうか?
「目を背けてはならぬ!真実を見て自らの頭で考えよ!」と耳もとで囁く声を聴きつつ、資料館をあとにする。

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1階はピロティー。ルーバーが建築に美しいリズムを与える

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「嵐の中の母子像」(本郷新 作)

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資料館の中の原爆ドーム(以下資料館の許可をいただいて撮影)

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原爆が爆発した位置(赤い球)を展示。街は全滅

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原寸の原子爆弾「リトルボーイ」。投下された年の暮れまでに14万人の命を奪う

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原爆爆発時間「午前8時15分」のままの腕時計。正確な時間は諸説ある

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平和記念資料館。次回はこの資料館前の道にかかるふたつの橋をご紹介。お楽しみに!


[ 2007/03/07 09:02 ] 建築 | TB(0) | CM(10)

ちょっと広島まで

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ひな祭りの日でしたのでこんな可愛い工芸品が!ひとりひとりみんな違うデザインでした。


3/2~3/4は大学からず~っと広島にいる弟の結婚式で広島に行って参りました。広島は足を踏み入れたことなく、弟が結婚する時に訪れようと考えていましたら、その独身生活の長いこと、長いこと!(笑)。ようやく素晴らしい伴侶と出会い、広島訪問が実現となった次第です。
新郎新婦ともに心理学者として大学で教鞭をとっておりますので、恩師・ご来賓はみな心理学を織り交ぜた知的な面白いスピーチでしたね!。とにかく新しい生活を楽しみながら、自分達の家庭を築き上げていってもらいたいと心から思った「ひな祭りの日の結婚式」のひとときでした。


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新幹線からこの路面電車に乗り換えました。後払いでホテルまで150円

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広島は日本はもとより世界からいろんな路面電車を集め、重要な交通手段になっています。見た目も楽しめます!

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さっそく前を陣取り(?)記念撮影。未だに電車運転席はワクワク気分!


というわけで、結婚式前日に新幹線で念願の広島入りを果たします。さっそく広島駅から路面電車で宿泊先のリーガロイヤルホテルへ直行。路面電車はかつて日本でたくさん走っていましたが、車社会がこれを追いやりその姿が消えてしまいました。ここ広島では逆に電車を海外から取り寄せ、地球環境に優しいエコロジカル思想を啓蒙するかのように元気に街の中を走ってます。バス利用者よりは圧倒的に多い印象です。
そして広島はとても綺麗な街です。中国地方最大都市として街全体が整備されそこに集う人たちにも活気を感じます。アーケード街も昼夜問わずひとが多かった印象があります。
かつてこ此の地があの原爆で壊滅したことさえ想像できない光景です。

これから時間経過とともに何回かにわけて「広島」を紹介していきたいと思います。広島に行かれた方も多いと思いますが懐かしい光景とか情報がありましたら教えてくださいね!


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リーガロイヤルホテル広島。超高層なので街のどこにいても見ることができます。

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22階の宿泊室からのヴュー。太田川(北西)をのぞみます。

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22階から。手前にひろしま美術館。その向こうに広島城(北)をのぞみます。

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22階から。手前が市民病院、その向こうが広島駅(北東)になります。

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22階(弟の部屋)から。平和記念公園、原爆ドーム(南西)をのぞみます。右手前は広島球場。

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広島の中心街。電柱もなく美しい!

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上記の幹線に直交する「新天地」アーケード街。しっかりした活気があります。

[ 2007/03/06 10:18 ] トレッキング・旅 | TB(0) | CM(18)