
平和記念資料から慰霊碑、原爆ドームへの軸線を見る
1945年8月6日、広島は原子爆弾という人類未体験の核兵器によって一瞬にして壊滅した。
そして人類として後世に残さねばならぬ「記憶」をしっかりと展示しているのが、平和記念公園の中にある、ここ「平和記念資料館」である。建築家・丹下健三氏設計による建築は昭和の名建築として重要文化財にもなっている。
この平和記念公園を訪れると、広い敷地に配置されたいくつかの「建築の軸線(AXIS)」を感じることができる。「平和記念資料館─原爆死没者慰霊碑─平和の灯─原爆ドーム」が一直線上に配置され、それぞれの建築の強い結びつきを意識させ、そこに訪れた人たちに強いメッセージを与えることになる。
そして慰霊碑の前で手を合わせ、原爆で亡くなった方達のご冥福をお祈りする。その際に慰霊碑のヴォイドを通して見える遠くの原爆ドームの姿が印象的であった。この「原爆死没者慰霊碑」には興味深い物語がある。当初この慰霊碑を丹下健三氏が推挙する彫刻家イサム・ノグチにそのデザインを託す。彼のイメージしたその慰霊碑+納骨堂はそのほとんどが地中に埋められ、死者の魂を大地に眠らせ鎮めるという素晴らしいコンセプトと造形美のものであった。「エナジーヴォイド」という彫刻を想起させるような3次曲面の柔らかなフォルムだったのだ。しかし戦後の日本、日本人とアメリカ人のハーフであったイサム・ノグチは敵国アメリカ人の血が混じっているという理由のみで、この案は一瞬にして幻と化してしまうのである。

原爆ドーム。この真上で原爆が爆発した

平和記念公園から元安川越しに見る原爆ドーム

原爆死没者慰霊碑。イサム・ノグチのイメージを残しつつ、はにわの家型を丹下がリ・デザインしたとされる。ヴォイドの中に原爆ドームが見える

資料館から見ると原爆ドームは慰霊碑の上に顔を出す。近づくにつれ慰霊碑のヴォイド(穴)の中に原爆ドームは納まっていく
さて「平和記念資料館」は本館を中心に東に新館、西に議会棟が連絡通路を介して連結された美しいプロポーションの近代建築である。この資料館の入場料はなんと50円。「恒久平和」への強い思いが感じられる。実際の展示をすべて詳細にみていくと3時間はかかるという。広島の歴史~戦争突入~原爆投下~被災後の広島~と中へ進む程、その内容は目を覆いたくなるような悲惨な状況を目の当りにする。原爆投下直後の広島の姿を頭の中で想像してみるが、その場・瞬間の悲痛な叫び・助けを求める声・焼き尽くされてしまった街の匂いなど、どれひとつとっても想像を超えていることを実感してしまう。
日本人のみならず世界中の人たちがこの資料館を見学することによって「恒久平和」への強い意識がもっと身近なものになり、戦うことの愚かさ・殺し合うことの愚かさを痛感するに違いない。資料館には多くの外国人(アメリカ人だろう)もたくさん見学していた。平和な現在であっても、この地球から戦争がなくなることはない。人間の本能であろうか、殺しあうことは?。そうではない!人間だからこそ「平和」を築くことができるはずだ、と心より強く感じる。
資料館から一歩踏み出して心地よい空気を深呼吸するが、頭の中の重い感じがいつまでも抜け切らない。ひとりひとりが「平和とは何か?」と自問するする時代はいつまでも続くのだろうか?
「目を背けてはならぬ!真実を見て自らの頭で考えよ!」と耳もとで囁く声を聴きつつ、資料館をあとにする。

1階はピロティー。ルーバーが建築に美しいリズムを与える

「嵐の中の母子像」(本郷新 作)

資料館の中の原爆ドーム(以下資料館の許可をいただいて撮影)

原爆が爆発した位置(赤い球)を展示。街は全滅

原寸の原子爆弾「リトルボーイ」。投下された年の暮れまでに14万人の命を奪う

原爆爆発時間「午前8時15分」のままの腕時計。正確な時間は諸説ある

平和記念資料館。次回はこの資料館前の道にかかるふたつの橋をご紹介。お楽しみに!
Macで見ると写真も一段と綺麗!?そしてフォントも読みやすい??まだまだ勉強中です。