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「家」って?

誰もが自分が過ごした「家」があるでしょう。
どんな「家」でしたか?

大きな木が庭にあった家、ポカポカした縁側のあった家、一日中暗くて近寄り難い部屋があった家、必ずお父さんと一緒に晩御飯を食べていた家、砂丘が近かった家、山々に囲まれ陽が暮れるのが早かった家、‥‥‥‥。

みんながいろいろな場所で成長して、そこでいろいろな体験をしてきたと思います。

ぼくは父が銀行員だったので転勤が多く、幼稚園3回、小学校3回転校し、挙げ句の果てに高校2年生からはひとり暮らしをすることになりました。それはそれで楽しかったのですがね‥‥‥!!

ですから生まれた家という感覚がなく、常に社宅(アパート)で物心ついたころから、引越=転校というちょっとした恐怖感がありました。というのも、いつも2~3年で住む場所が変わってしまい友達がたくさんできた頃にお別れだったのです。
今思えば、案外どんな環境にでも溶け込んでいける性格になったのは転校のおかげだったのかも知れません。

「家」の原風景は?と問われても、確固たる答えがなく、いつも社宅の子供達がいっぱいで騒がしい環境の中で自分が成長してきたような感覚です。
昔のようにおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活する家庭も少なくなり、子どもたちの成長する環境も変化してきていると思います。

子ども達の視線から、もう一度自分が成長してきた(または自分を成長させてくれた)「家」をみつめてみようという一冊の本があります。

IMGP6366.jpg
「家族をつくった家」

建築家・芦原太郎氏の書いた「家族をつくった家」。
家族の変化、生活の変化、「家」の変化を織り交ぜながら「家」の大切さを語ってくれる本です。

「家」って、ほんとうにいいですよね! みなさんはいかが?

IMGP6369.jpg
スケッチを取り入れながら‥‥
[ 2005/11/18 10:33 ] | TB(0) | CM(8)
こんにちは、引っ越し引っ越しの暮らしって、子供にとっては結構なストレスだったんじゃないですか?16歳くらいからの一人暮らしっていうのも、その頃はそれでも気楽かも知れないけど、歳をいくらかとって、16、7歳なんて聞くとまだ子供なのにかわいそうに、って思いますね。
私は母一人子一人で育ちました。母は凄く仕事をする人だったので、私が小学校4年生の時に自分の家を設計士さんに相談して建ててもらいました。それまではずっと借家にいました。母の念願の家は6部屋もあって、自分のうちを持つというのは母にとっては夢の一つだったし、私も其の頃は嬉しかったと思います。そこに私が住んだのはおよそ10年です。そして今も里帰りには、何部屋かは後に改装したりしているけど、そこにかえります。でも、私が普段思い出す家は幼年の頃にいたボロボロの借家の方なのです。昔はそのあたりは田舎だったので、周りにはたいしたものは何もありません。家の前は何もない空き地、近所の人が作った畑と小さい池がありました。そのオンボロ借家を母はとても嫌っていたようですが小さな子供にはオンボロだろうが何だろうがお母さんがいてくれるだけで、あまり関係ないですよね。私はその借家の縁側が大好きだった。今でもお家と思うとその縁側で何の代わり映えもしない風景を寝転がったりし乍ら見ていたり、スイカを食べ乍ら遠くまで種を飛ばそうとやっきになったりしていたのを思い出します。近所の人や近くに住む親戚などがふらっと現れては、その縁側に腰を下ろしてお茶を飲み乍ら、またぶらっとどこかに行く。のんびりしてて、少し切なくて…。
もう、縁側のある家って今では珍しいですよね。どうして、あまり縁側を作らなくなったんですか?私はもしいつか自分の家を建てられるなら、設計士さんには縁側をくっつけてもらいたいといつも思っています。
[ 2005/11/18 14:58 ] [ 編集 ]
MIHOさん、こんにちは。
時間・距離感がないのはインターネットのおかげですね!実感!

銀行の転勤の時期って、大体いつも同じでそのころ親が居間で「~に転勤になった‥‥」なんて話しているのを扉越しに耳にして、ふとんの中で良く泣いていました。子どもながら何となく転勤に関しては敏感でした。
高校の一人暮らしは、初日くらいが切ない思いがしただけであとは気楽にやってましたよ。むしろいろいろな経験ができたかも。

MIHO さんのお母さんは凄いですね!6部屋とはいろいろなお考えがあったのでしょう。縁側って日本独自の空間で、内でありながら外、外でありながら内、と不思議な「場」です。それでいてとても機能的。生活空間を縁が守ってくれて、温度調節までしてくれる。季節で違う陽の入り方を調節してくれる。
こんな縁が少なくなっているのは寂しいですね!
僕もじいちゃん・ばあちゃんの家には縁があり、そこで丸太から木の船を一緒に作ったり、昼寝したりしていました。今で言うマルチスペースだったのです。その家も壊され、新たに僕が設計させてもらった家が、来年春前には完成予定です。懐の深い、縁のような空間はちゃんと作りました。
これからも縁の想い出を大切に胸にしまっておいて下さいね!
[ 2005/11/18 15:36 ] [ 編集 ]
 自分で家を建てるというは、非常に大きな出費が伴うもので、人生において一大イベントと言って良いものだと思います。
 男は、そんなに巣に対する愛着はないように思うのですが、女は違うように感じます。私は、ライフスタイルに合わせて借家を転々とすれば良いと思ってましたが、カミさんに押しきられて、家建てました。
 マスオさんになって、家を建てた分のお金を使うという選択肢もあるように思います。

 縁側は、プライバシーという感覚の変化ではないでしょうか? 私が子供の頃(昭和30年代)なら、あまり気にしませんでしたが。今でも、敷地が何百坪もあれば気にしないんでしょうけど。
[ 2005/11/18 15:43 ] [ 編集 ]
「借家を転々」というお考えはすばらしい!。
じぶんのライフスタイルを家に無理に合すことはないと思います。ただ新しい家を作れば、多少「いえの尺度」に合わせてみても、なにか生活の中で新たな発見があるのも確かだと思います。特に核家族化が進む日本で家を作ろうと思うと、コストのほかに家族の変遷をある程度読み取っていかなくてはいけない状況です。むかしの木造は世代ごとに壊しては作ってと言う感じでしたが、今や100年住宅などといわれる時代。どのように建築家は先を読み切っていけば良いのでしょう?読み切らずともいい?などといつも壁にぶち当っている状況で設計活動しています。
「縁」は建築においても切っても切れない縁です。
[ 2005/11/18 16:03 ] [ 編集 ]
うちは旦那が持ち家派・私が借家派です。
(これって世間の反対なのかしら?)
結婚当初にバブル真っ盛りでやっと手の出るボロ中古マンションを買いましたが、5年ほど前にそれを処分してから今まで借家住まいです。
ただ転勤して借家を移り、Architectさんの仰るように、「子供にとっての原風景としての家」が一定しないのは良かったのかな?と思っています。
私自身は実家は自営業でしたから、今も同じところで(建物は変わってしまいましたが)父母は住んでいます。原風景がしっかりあるのが当たり前に感じていました。
今更だけど、持ち家も考えようか?とも。まあ、まだ転勤もあるかもだし、現在の地に思い入れも無く定年後も拠点とするつもりは無いので、どう考えてもしばらくは借家住まいしかないのですが。
転勤族だったArchitectさんのお話を聞くと、ちょこっと胸が痛みます。うちの子供達はどう感じてくれることやら。

ちなみに、縁側。うちには据え置きの「縁側もどき」があります。すのこに足をつけたようなものです。
前の家ではその「縁側もどき」を置いた位置から前の通りが丸見えでしたので、MIHOさんがおっしゃる様な感覚で近所の人との交流が簡単に出来ました。子ども達がまだ小さかったこともあって、近所の子供たちもワイワイ集る楽しい場所になりました。
現在の家でも、この「縁側もどき」は置いているのですが、うなぎの寝床状の家なので、前の通りから見える位置に置くことが出来ず、以前に比べて活用されていません。置く位置をもう少し考えてみようかしら。
[ 2005/11/19 07:35 ] [ 編集 ]
子どものころの原風景が一定しな方がベターというのは面白いですね!ぼくみたいに建築をやっていると、原風景をとても大切にしている建築家がたくさんいることを目の当りにします。確固たる原風景がない自分が一歩そとにいるような感覚でした。でも別の角度からみれば、他の人には体験できていない「短期間ながらの原風景」をいっぱい持っているということにもなるのかしら?視線の向きを変えれば、いろいろな解釈もできますよね!

「縁もどき」も素敵じゃないですか。人がいっぱい集まる家も魅力的で、みごとに足付き簀の子が遊びの場を演出してくれているようです。
「ご縁あって‥‥。」という会話は、人と人とのコミュニケーションの場としての「縁」が舞台になっていることなのでしょう。どうでしょう?

[ 2005/11/19 10:48 ] [ 編集 ]
自分の子ども達の原風景が一定しないのは良くないかなぁと、思っているんです。私の原風景は一定でしたので。一定しないということについて想像力が働きませんから、betterとは言えなかった。
でも、Architectの書いているように「たくさんの原風景を持つ」と考えると、逆に贅沢なことかもしれません。
借家はというのは、その時その時の生活様式にあわせた住み方が出来るという点で、とても優れていると思うからです。また、持ち家願望というものも、希薄なんですよね。
とはいいつつ、もしも家を持つとしたら、こんな家・・という理想は高いのです。(ヘンなヤツ)小さくてもいいから、陽の当たる風通しのいい家が好きです。万が一持ち家派に鞍替えした時にはお世話になるかも・・?
その節は宜しくお願いします。(笑)
「縁側もどき」活用を真剣に考えますね。春先になったら、芝生と共に庭大改造を計画していますので。乞うご期待!?
[ 2005/11/19 12:56 ] [ 編集 ]
Capacityを大きくしていろいろなことを受け止めていければ良いなと思っています。そうすれば思考回路を別ルートへセットでき、難関にぶち当っても迂回できるからです。正直に物事に真正面から体当たりするも善し、ちょっとななめからかわすも善し。
僕は自分にないものについてはすごく憧れるタイプの人間です。よって原風景をしっかり持っていたかったなあと思っている反面、ないならないでイイじゃん!とも思ったりします。
Let it be !の心境。

「ぼちぼち家」が持ち家に決定された時は、ぜひともわが事務所に設計御依頼のほう、よろしくお願い申し上げ奉り候。

[ 2005/11/19 16:16 ] [ 編集 ]
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