ついついタイトルに釣られ読んでみると、要は解剖学者・養老孟司さんの『環境論』なのである。地球環境問題はいろんな国々が自分たちの思惑を主張しつつ、暗中模索状態で目標点を目指し、のんびりと啓蒙活動と実験、そして地球への負担軽減への実践に取り組んでいる。「地球に優しい環境」というスローガンを掲げての企業の取り組み、庶民の取り組みも、大きな地球にとっては小さな運動であろうが、評価できるものであるに違いない。

さて養老さんの『環境論』、そのアプローチと視線が養老さんらしく実に面白い。彼が東大医学部で解剖学の教鞭をとっていたのはご存知であろうが、もうひとつの有名な顔、それが「昆虫採集」である。彼の建てた箱根・仙石原の『バカの壁ハウス』(「バカの壁」というベストセラーの印税で建った家とされている、笑)には博物館のようなものすごい昆虫標本箱の棚があり、彼の生き様がこの建築に投影されているのである。
一般の環境論は「上から目線」的なものが多く、世界各国首脳や政府レベルで環境が語られるのだが、養老さんの目線は、なんと「虫の目線」なのだ!。具体的にはマイマイカブリ(笑)。虫の目線から人間が破壊しつつある地球環境を冷視し告発しているのである!。人間より遥か昔から存在していた生物学上の先輩(=虫)の目を通して、自然の一員として人間がどのように環境問題に取り組んでいけばいいのかを示唆・提案してくれている。

「マイマイカブリ」マイマイ=カタツムリ、カブリ=かぶりつく、、、エスカルゴ喰いの虫!
環境問題は当初から「自然環境 VS 人間社会」とされてきた。養老さんはココに疑問点を抱く。確かに人間の築き上げてきた文明が自然を破壊してきたのは明白ではあるが、文明は人間の脳という意識から産み出されたもの、、、その脳が『ああすれば、こうなる』という思考で、経済や政治の活動に大きな影響を与え、実際にそれを人間は信奉して価値を見いだして来た。現在の世界経済状況をみても、その人間の奢りに大きな問題があったのは明白であるが、、、ましてや自然をこの『ああすれば、こうなる』的な感覚で捉えてしまうと、大きな落とし穴に嵌ってしまう。自然ほど複雑で予測不能なものはないのである。要は自然をわかったつもりで正面から向き合うのではなく「わからないのが自然!」というスタンスでお付き合いして行かなければないのが「自然」なのである。
ただ自然を放っておくだけでもいけない。その付き合い方だ!。自然は大きな地球システムであり、そのシステムに適度な「手入れ」をしていかなければいけないとも養老さんは説く。すべてを自然放置するのではなく、日本人が昔から山に手を入れ、里山を作ってきたように、知恵を駆使することも必要だというのである。日本の杉林でも間引くことで光と風を林に呼び込み、すくすくとまっすぐな杉が生長するのはみなさんもご存知だと思う。その狩られた杉の木がいわゆる「間伐材」であり、住宅を建設する際の木材にもなる。であるから原理主義的な「自然に手を出すな!」的思想はかえって危険思想で、適度な自然への「手入れ」は地球環境には有効だと、、、

前橋の実家にてくつろぐカリフと奥のベッドで寝るシャマル、、、無言の『やりとり』?
自然との対話には『やりとり』が不可欠である。『ああすれば、こうなる』的な感覚は、自然や生態系を創ることのできない人間が抱くと、環境を悪化させてしまうのは一目瞭然!。『やりとり』とはまさに自分の子供と向き合ったり、ワンコと一緒に生活したりすることで、時間をかけて徐々に身に付く感覚である。自然に学ぶという感覚、、、僕も愛犬シャマルやカリフとの共同生活の中で『やりとり』を毎日繰り返している。生命あるものに対して、あせって付き合ってもいい結果を産み出さない。根気・我慢そして日々の努力で、初めてうまく『やりとり』が成立し、お互いの生活環境がいいものになっていく実感があるのも確かだ。
地球環境の問題は、人間の生き方の問題でもある。政治問題、経済問題、戦争問題など比較にならないほど大きな難問なのである。自然の目線でじっくりとひとりひとりが自然を考えていくことで、自然を理解できることに繋がる。「焦らずゆっくりと田舎生活しよう」というひとりひとりへの啓蒙
こそが、養老さんの導き出した結論のひとつであるのもこれまた興味深いものである!(笑)。
『いちばん大事なこと』まずは自分の頭で考えてみろ!と養老さんからの強いメッセージをもらった1冊であった。
何が必要で何が必要でないかも案外難しいし、やってみないとわからないことばかりだし。
環境問題は動物や昆虫が一番わかってそう。