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盗作って?

wada.jpg
「ナイトクラブ」和田氏(2000年)

ここのところ洋画家・和田義彦氏の盗作疑惑がニュースになっています。
今春の芸術選奨で文部科学大臣賞を受賞した画家ですから、なおさら話題性が膨らんでしまいましたね。
イタリア人画家のアルベルト・スギ氏は、作品に構図が酷似しているのを指摘して「明らかな盗作」と主張してます。それに対し和田氏は「同じモチーフであって、盗作ではない」と主張。
どうみても盗作でしょ!と素人目には見えますよね!

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「ノクターン」スギ氏(1998年)

でも「盗作」なのか「習作」なのか「模写」なのか、そのあたりの微妙なところのニュアンスが実は良くわかりません。
「模写」で有名な絵画にゴッホの浮世絵がありますよね。広重の版画を所有していたゴッホが油絵で制作したものです。これは「盗作」とは言われていません。ゴッホの絵画技法のプロセスにおいての「模写」なのです。ゴッホは生前には作品評価を受けていない画家で、死後に今の絶大な評価を受けているので、そのあたりが微妙なのかも知れません。
他にもゴッホは、ミレーの「一日の終り」(1867)の模写作品として「一日の終り(ミレーによる)」(1890)を発表して、完全なゴッホのオリジナル作品として世に認められています。これらも今回の事件のように構図はそっくりです。そうなると絵画の素人である私にはもうわかりません!

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「大はしあたけの夕立」広重

20060531172556.jpg
ゴッホの模写(ゴッホらしい!?)

「盗作」と自分で言明する画家はいないでしょう。そうなると今回は「習作」か「模写」なのでしょうか?そうとも和田氏は断言してません。彼の本心を聞くまでは真実がわかりそうもありませんね。スギ氏との見解も全然違っているので、どちらかがウソを言っていることになります。
どちらかはみなさんのご判断によりますが、決着をみるまで感心持っていようと思ってます。

芸術の世界はある意味、「模倣」から始まるとも言えると思うのです。芸術家を志す者は、好きな芸術家の影響は必ず誰もが受けます。でもそこから自分のオリジナリティを生み出していくことが大切なのです。そうしないと芸術としての自分の世界を表現できないから。
なかなか難しいんだ!これが!!
[ 2006/05/31 17:31 ] 社会 | TB(0) | CM(14)
優れたアーティストというのは新しいものを吸収し、咀嚼し、更に新しきものに進化させ、そして古きものは捨てるという水はけはとてもよくできていると普段から接していて思います。
でも、この人の場合...うーん(-_-)
[ 2006/05/31 22:26 ] [ 編集 ]
なかなか分りやすいいい表現ですね!
確かに建築でも音楽でも本でもいろいろなところに、模倣の痕跡って見つかることありますが、世の中に表出化させるときには自分のものに変化してないと存在価値がなくなってしまいます。
和田氏の場合は盗作とされている作品数が多いのと、何より弁明というか弁解がなっちょらんよね!
全くもって説得力に欠けるコメントしか聴けないのも、騒ぎを大きくしている一因のようです。
[ 2006/05/31 22:36 ] [ 編集 ]
広重とゴッホの作品は、模写か盗作を考えさせられるいい例ですね。芸術の創作は、模写、模作からはじまることも否定できな事実です。
和田氏の場合は、あまりに点数が多いことが、問題かもしれません。
[ 2006/06/01 07:39 ] [ 編集 ]
盗作かぁ〜・・・・
アメリカにいる時に若いアーティストと
話をしました。その時ぼくは
「なんで個展をやらないの?NYなんだから
 もっともっと個展とかをして前にでたら?」
と言ったところ彼女は
「今出したら良い物を盗まれるから・・・」
言ってました。
その言葉にぼくはがっかりした覚えがあります。
アーティストとして生きるのなら多少
パクられても新しいモノを生み出していけば
いいのでは?
ぼくだったら真似されたりパクられたりしたら
結構嬉しいです。。。
それが世に出て地位と名誉を獲得したと
してもひがみ的なことは言わないと思います。
自分よりその人の方を作品が選んだんだと
少しがっかりはしますが
次へのバネにしようと思えます。
プライドの問題でしょうか?
[ 2006/06/01 09:05 ] [ 編集 ]
この問題は、ニュースで報じられたときからとても興味がありました。出版業界で仕事をしているのですが、編集長から「オリジナルなんて天才しかだせないんだから、謙虚にパクレ!」とよく言われます。
なんだかなぁって思いながら、それでもひとつまみのオリジナルをなんとかもぐりこませようという意地もあります。

娘が美大に通っているのですが、渦中の和田先生に油絵を習ったそうです。(娘は油絵科ではないので、授業をかじった程度なんですけど)
当事者以上に複雑な心境なのは、学生さんたちかもしれません。
[ 2006/06/01 09:34 ] [ 編集 ]
いよいよ国画会が和田氏に退会勧告を出しましたね!
国画会としても盗作と認識したのだと思います。今回の作品も作品名に「‥‥(スギによる)」とか明記した上で、彼の主張する独自の技法を表現すれば良かったのでしょう。
でもあまりに「構図の近い絵画」の数が多過ぎですよね、あれだけ堂々と世に発表してしまうと。
[ 2006/06/01 09:54 ] [ 編集 ]
意外と慎重なアーティストさんだったのですね!その方。
真似されることは、それだけ自分に対して一定の評価をもらったと思えばいいんじゃないのでかな?
「真似されたら勝ち、真似したら負け」とみんな分かっていると思うよ。
編集工学研究所の松岡正剛氏の「千夜千冊」のFLライトの書評の中で、
「けれども、いつも思うのだけれど、いったいどこからどこまでが盗作なのか。世界の建築史なんて盗作の歴史なのである。」
と言い切ってます。同感!!
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0978.html
建築も同じような環境にあるよね!
[ 2006/06/01 10:05 ] [ 編集 ]
世の中これだけ情報が溢れんばかりの状況の中で、オリジナルを生み出すことは時間との戦いにもなりますよね!
「謙虚にパクレ!」とは面白い、と言っては失礼ですが、そこから自分色にどうやって染めていくかがその人の力量なんでしょう。
大学の先生の影響は大きいものがありますね!
私の行っていた大学でも私が4回生(関西ではこう言う)の時、2回生の非常勤講師で「高松伸」という著名な建築家が来たのですが、学生の提出作品がみんな彼の建築のようになってしまったのを危惧した記憶があります。
当分、和田先生は学生からも相手にされなくなることでしょう。
[ 2006/06/01 10:18 ] [ 編集 ]
アートしておきながら、この和田さんのこと全然知りません。:) 展覧会?は本人にとっては模写展だったんじゃないんですか?:)
森村泰昌とかマスターピースの作品の構成をそのまま再現して、本人がマスターピースの中の人物に変装して写真を撮り続けてますよね。で、これはやっぱり凄いアートです。
和田さんとやらもゴッホみたく手法を変えるとか、模写、というタイトルで全く実物と見分けがつかないくらいにしちゃえば、それはそれで良かったのかもしれませんね。
キンパさんのコメントにちょっと反応しました。同じアーティストとして、そのお友達の言ってる事は言い訳に過ぎません、と思います。今、良い物を出したら盗まれるから…。良いもの作ってないから出せないんですよ。自信のなさしか感じられない言葉でびっくり。アーティストやめなよ、と言ってやって下さい。
[ 2006/06/03 04:07 ] [ 編集 ]
もう和田氏の逃げ場はないでしょ!
賞を与えた文化庁も国画会も彼を見放しにかかってます。自業自得といえば、それで済むかもしれませんが、いろいろと彼の画家になるまでのフローや海外での生活が、このような事件を起したきっかけになっているようです。
自分の世界を切り開くのに、みんなどんなにもがき苦しんでいることやら‥‥。
こんな模写で展覧会を開かれたら、ホントにアーティストは困っちゃいますよね!
私の建築の師匠(芦原義信氏)も建築に対し、「Be original !」とよく言ってました。
[ 2006/06/03 10:16 ] [ 編集 ]
ここまで模写する技術があるんなら、ここまでパクらなくてもいいんでないの~と思います。バレバレだし。自分からすると、自尊心の問題ですが…。建築だと、機能的な間取りを考えていくと、結果的に似てくる事があったりして。自分のごく短い経験ですが。
[ 2006/06/03 22:35 ] [ 編集 ]
確かにイタリアで修復学校に行っていたこともあって、その模写技術の腕はたいしたものでしょう。でも芸大の院まで出ているのだから、本来の画家の腕も対したはずですが、道を外れてしまったのでしょう。といって「間がさした」とは言わせません。この行方を見守っていきましょう。
建築もフォルムが似通っていても、そこに至るまでのアイデアプロセスがとにかく大切です。むずかしいね!
[ 2006/06/04 15:16 ] [ 編集 ]
>芸術の世界はある意味、「模倣」から始まるとも言えると思うのです。
私もそのように思います。ある意味...というところに、この文脈の意図するものがあると思うのです。
つまり、ここでの、ある意味は、「模倣」から始まると断言しているわけではなく、また、「模倣」のみがその始まりでありとも言っていないのです。

音楽にしても、文学にしても、美術にしても、建築にしても、既存のものに、少なからずの影響を受け、そこに、自らの表現を模索していくのではないのでしょうか?それをオリジナリティーというのでしょうが、そこには、作品を作り上げた者の人間性がまさしく表現されているような気がするのです。
人間性とは、人としての本性です。これは、一見似つかわしいようであっても、非常な差違があるものです。作品とはもしかしたら、この本性の表現されるものなのかも知れない?なんて感じました。

芸術論とは、少しかけ離れてしまうかも知れませんが、和田氏の一連の発言や行動(発覚後のスギ氏へ訪問や、レターなど)は、弁明とさえなっていない
と感じざるを得ません。
告訴しないで欲しいとか......。

芸術というものには、人の五感(あるいは六感)または、「魂」を揺さぶる何かがあります。
それは、表現されるものとしての、作者(作り手)の本性なくしては有り得ないと思うのですが...。

[ 2006/06/07 01:02 ] [ 編集 ]
まきねえさん、私の言わんといているところの的確なご指摘ありがとうございます。
まさに「模倣」を全否定するわけではなく、そこから“自分だけが光らせることのできるもの”をどう創造していくかが、アートの第1歩だと思います。言葉での表現、頭の中では分かっていても、これを実現することは本当に苦しいことでもありますが、それが実現できた時にはその人しか味わえない達成感があると思います。
まきねえさんの本(これから楽しみですが)もまさにご自身そのものが表現されていることと思います。建築もクライアントのご要望なる夢を実現するお手伝いになるわけですが、まず自分自身が住んでみたいという自信がなければ、クライアントにも説明できないし、打合せもできません。建築も建築家のメッセージがいっぱい詰まっています。そのメッセージと実際の生活のハーモニーがうまくいっていると、僕もすごく幸せな気持ちになれます。
今回の和田氏の対応は援護の価値もなく、人間の本性まで見えてしまったように感じましたが、別の視点から再度、自分自身の建築活動に対しても見つめ直すきっかけにもなりました。
人の「魂」を揺さぶる、いい表現です。
そんな建築をこころがけていきたいものです。
[ 2006/06/08 13:16 ] [ 編集 ]
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